共同体の信仰の立場

私たちはカリスマ派や根本主義神学(The fundamentals)、また伝統派(保守神学)やリベラル派(自由主義神学)などについて次のような立場をとっています。

 

世界は変わっていきますが、神のみことばは、永遠に変わりません(Unchanging Word in changing world)。聖書の真理は時代によって淘汰されるものでもなく、いつまでも同じく輝くものと信じます。「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じである(ヘブ13:8)」からです。

それゆえ、神の力を制限するすべての理性主義を拒み、聖書に書いてあるすべての奇跡としるしを信じます。さらに初代教会のすべての真理と愛、恵みを回復し(restoration)、今日も変わらない力強い証人の共同体となるようめざします。

根本主義神学の中に輝く殉教者の信仰を尊重します。

伝統派(保守神学)の主張する信仰の伝統を学ぶことを誓います。カルヴィン主義神学が主張する神の主権と恵みを柱としますが、ウェスレアン主義が主張するきよめや信仰の熱心、人間の責任強調からも学びます。

また、リベラル派(自由主義神学)の社会的弱者に対する姿勢を学びます。

これらのものは信仰をもって用いれば、互いに補い合って、主の喜ばれる御旨を担っていくものであると信じます。互いに学び、協力して福音の前進に努めるべきであると思います。

ただし、それぞれの主張の行き過ぎを警戒するとともに、その影となる部分に対しては、断固として断るよう努めるものであります。

というのは、あくまでもキリスト者の信仰生活の中心は、イエス・キリストの十字架と復活であり、それによって私たちに賜った助け主聖霊の働きによるものだからです。これこそはキリストの新しい戒めの中で、燃える知性(知識-聖書)と霊性(摂理-聖霊)をそなえ、力強く働く聖霊の力と導きに従って行くものであるからです。

使徒パウロは、多くの主張に揺れるコリント教会が、執中(意:中心を執る)すべきことを次のように述べられました。

「ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです」(Iコリ1:22~24)